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よく遊び、よく学べ

アラフォー・高卒・三児の母が、通信教育で教員免許(小学校&特別支援)取得を目指す日常。

「みんなと仲良くしましょう」が人間関係をより困難にしている

教育

この国の教育は、

「知育」「体育」「徳育」を三本柱として「生きる力」を育てるということを目標としています。

その中でも、「徳育」と呼ばれるいわゆる「道徳」、これが小学校は2018年度から本格的に教科化される予定になっています。
いままでは「道徳の時間」と言って教科としては扱われていませんでした。
それが、「特別な教科」と格付けされて検定教科書を扱った指導をすることになります。(ただし一般の教科のような評価は行わない)

と、そのあたりの議論はさておき。


新学期が始まり、新しい学年、新しいクラス、新しい先生、これから始まる新たなコミュニティに期待と不安で過ごしている時期なのかなと思いますが、
そんな時、必ずと言っていいほど先生が言うのが

「クラスのみんなと仲良くしましょう」

これ。

本当にクラスのみんなと仲良くなんてできんの?と私は子どもの頃から思っていました。
大人だって、置かれた環境のコミュニティすべての人と仲良くしてる?仲良くする必要がある?

「みんなと仲良く」って言われるから、それが義務感みたいに感じて、ただ無理やり仲良しなふりをしていただけって人、絶対多いはず。
だからこそ水面下で派閥やいじめが起きているのです。

「みんな仲良く」は、ある意味「同調圧力」ではないのかって私は思うのです。

「みんな仲良く」=「みんな一緒」=「違う人は排除」

 

そうやってるわりには

「みんなちがって みんないい」の詩を多用しますよね、私、この詩を多用するの大っ嫌いです(作者やこの詩が嫌いな訳ではないです)

本当はそんなこと思ってないくせに。って。

 

ほんっっと、矛盾してます。

 

より良い(ストレスのない)人間関係を築こうと思うなら、むしろ、自分と合わない人が必ずいて、そういう人と無理やり仲良くする必要なんかなくて、当たり障りのない関わり方をしたほうがいいって教えるべきなんじゃないかって思うわけです。
それって冷たいって思うのかもしれないけど、それが「(自分と違う)個性を認める」ってことなんじゃないかと。

嫌いな人がいたっていいんです。

そんなの当たり前だから。

 

私は、トイレにみんなで行くことも、お弁当をみんなで食べることも、意味がよく分かりませんでした。

とある職場で、私だけ仕事上昼休みじゃない時間に昼食を取っていたら

「一人で食べて、かわいそう。ごめんね」

って言われたことがありますが、さっぱり意味が分かりませんでした(笑)
いや、むしろ食事くらい一人で食べさせてくれって思いましたが。

 

と、なんだか話がそれましたが(^^:

 

社会に出るとよくあるのが、意見の食い違いによるトラブルで、そんな時必ず「みんな仲良くの法則」で「お互いが気持ちよく解決できる方法」を探そうとするのですが、

まず、無理でしょ(笑)

価値観や感情ってのは違って当たり前で、どちらかの意見を立ててればどちらかが我慢するしかないのです。そうやって社会は出来てるのです。
この時「我慢する」というストレスをいかに少なくするか、が社会生活を円滑に過ごせるポイントになるんじゃないかなと、そう思うのです。