よく遊び、よく学べ

アラフォー・高卒・三児の母が、通信教育で教員免許(小学校&特別支援)取得を目指す日常。

小さくたって子どもにも意思がある、褒めるより認める

今から約30年前の話です。

幼稚園児の男の子。
園では、身体測定が行われていました。
みんなパンツ1枚になって測定です。
誰もが疑いもなくパンツ一丁になっていくなか、男の子は服を脱ぐことを頑なに拒否しました。
服を脱がないので測定が出来ませんでした、とお母さんは報告をうけます。

こんな時、
たかが子ども。泣こうが騒ごうが力ずくで服を脱がそうとする大人が多いのではないかと思います。

しかし、男の子のお母さんは、男の子に、
「どうして服を脱がないの?」
と優しく尋ねたのです。
すると男の子は言いました。
「みんな服を着てるのに僕だけ裸は嫌だ」と。
男の子はクラスで1番背が高かったので、測定順が1番最後です。
男の子が測定する頃には、もうみんな服を着てしまっているのです。
なるほど。と思ったお母さんは
「それは嫌だね。分かったよ、お母さんが先生に言っておいてあげるからね」と言いました。
しかし、実際には先生には伝えなかったのですが、
次回から男の子は服を脱ぐようになったのです。


と言う昔話、私の実弟の話です。

この話を武勇伝のように何度も私に話すの母は、
この話のまとめとしてこう言います。

「大人からしたら『たかだかそんな事』って思うかもしれないけど、
子どもには子どもなりの理由があるのだから、ちゃんと話を聞いてあげなさい」

その言葉は今でも私のバイブルです。


しつけに悩んだあげく最終的にたどり着いた結論

長男が2歳前後の頃の話。

「そろそろしつけを」という育児書のいう通り、しつけとやらを試みるのですが、

この長男、全くかないませんでした(笑)

この頃は、長男は片手にアンパンマンのたべものあいうえお (アンパンマンのあいうえおずかん (1))を抱え、フォレストガンプの如く走り続け、その後ろを生まれて間もない下の子を背負い追いかける私、というだけの日々。

しつけようにも、彼は彼の好奇心中心で動いているため、全く聞き入れてもらえない状況でした。

辛かったのは周囲の視線。

それでもある日ふっと私は悟ったんです。


私がしつけようとしている事は、私の価値観の押し付けであって、彼には彼の意思があり行動してるのだろう。それを否定する権利がどこにあるのか。と。

本当に何かの教えとかではなく、ふっと思い浮かんだんです。

それからは、彼の行動を観察すると言う余裕もでてきて、自然と彼の行動を共感できるようになってきていたように思います。


「褒めて育てましょう」って、それでいいのか?


昨今、「褒めて育てましょう」キャンペーン真っ盛りです。子育てにしても教育にしても仕事の場でも。

褒める事は必要だと思うのですが、言葉だけが先行して、「ただの褒め言葉の羅列」があふれかえっているだけのような気がしているのは私だけでしょうか。

私は、「褒める」のは「ここぞ」という時しか使いません。だからと言って叱り散らしているわけでもないですが。

普段は、とにかく「共感」の姿勢なのかなと思っています。
嬉しいね、楽しいね、悲しいね、辛いね、頑張ったね、悔しいね…等々。
そして、行動への理解。なぜ今その行動をとるのか?それを理解して受け入れること。
そのなぜ?がわかるようになると、子育ての各種クエストも攻略が楽しくなってくるというわけです。

褒めるより、小さくともまずは一人の人間として認めてあげることが、子どもの自己肯定感を育む第一歩なんじゃないかなと思っています。

おまけ(子育ての経験は大学の学問に匹敵する)


前述の母が弟にやっていた事は、
いわゆる、傾聴→共感→受容のカウンセリングの基本中の基本。私は大学で学びました。
あ、母が言ってたやつって一人でビンゴってました。

ちなみに、母は教育者でもなければ心理関係でもなく、ただのごく普通の中卒のお母ちゃんです。
まさに経験値から会得したのでしょう。

子育てというキャリア価値、もっと認められる社会になってほしいです。