よく遊び、よく学べ

アラフォー・高卒・三児の母が、通信教育で教員免許(小学校&特別支援)取得を目指す日常。

「保育園落ちた、日本死ね」の前に、子どもたちが自ら命を落としているということ

昨日は「こどもの日」だったわけですが、
こどもの日だからと

bylines.news.yahoo.co.jp

このような記事。

中学生の自殺者数が17年ぶりに100人を超えたというもので、
人口当たりの比率も記事の中でグラフ化されています。
人口比で見ても増加傾向にあるようです。

そして、
学校や家庭、友人関係から逃げても良いよ、というメッセージを発信していらっしゃるのだけど。

思うに。
命を絶ってしまった彼らにとって、逃げる方法が「自殺」だったのではないかと。
同じようにこれから「死」を選択しようとしているかもしれない子どもに対して、
「逃げても良いよ」と言われたら…。

 

悲しくも自殺してしまった子たちには、辛いって素直に泣ける場所がなかったんじゃないかなって、私は思うのです。
私もそういう経験をしたことがあるので、少しだけわかるような気がします。

 

 

内閣府の調査では
小・中学生の自殺原因は、「学業不信」と「家庭からのしつけや叱責」「家族関係の不和」が上位にあがっていて、じつは「いじめ」の割合は少ないのです。
「小・中学生の自殺は、家庭生活に起因するものが多い」と分析されています。

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2015/pdf/honbun/pdf/1-2-4.pdf

内閣府「自殺対策白書」より)

 

自殺をしてしまう(死にたいと思ってしまう)ほとんどの子の心理は、
「自分はダメな(価値のない)人間だ」と思い込んでいます。
命を軽くみているからだ、という人もいますが、違います。親に大切にされている命だからこそ、自分はダメな人間で生きていく価値がなくて申し訳ない、そう思うのです。

 

そして、子どもにとって家庭とは本来何があっても全てを受け入れてくれる絶対的存在なのです。特に母親なんです、お母さんのお腹から産まれてきたのだから、帰る場所はお母さんなんです。(もちろんこれが100%で絶対では無いということは付け加えておきます)

子どもは、産まれると3歳くらいまでの間に「愛着形成」がされていきます。
これは以後の発達にとっても重要で、これが健全に育まれないと将来問題になると言われています(ボウルビーの愛着理論)
これが俗に言う「三歳児神話」に繋がるのですが。
ただ「3歳までは母親の手によって育てられなければいけない」というのは偏った見方で、大切なのは「母親」という部分ではなくて、「3歳まで」という部分なんです。
3歳くらいまでに「愛着形成」が行われるのが理想の発達であって、それまでに形成されないと以後の発達に問題が生じてくるのです。それは「愛着形成」の上に以後の発達が成り立っているからです。
「愛着形成」とは保育者(主に母親)との絶対的信頼関係で、人格形成においての基礎となります。そしてその上に、「自己肯定感」という土台が形成され、自立へと向かっていくのです。基礎土台がしっかりしていれば、困難に立ち向かえる強い大人になれるのです。
しかし「愛着形成」や「自己肯定感」という基礎がしっかりしていなければ、その上にどんな立派なものが乗ったとしても崩れやすくもろいものになってしまうのです。

 

小・中学生の自殺原因を思うと、やはり基礎土台である「愛着形成」と「自己肯定感」が不十分であったのではと私は思います。

 

今の日本は、乳幼児期の保育・教育に力を入れているようには思えません。
親世代を働かせたい国、子どもの人格形成よりも自分のキャリアを優先したい親、
そういう社会情勢が「こどもの自殺」を増やしているんじゃ無いかとさえ思うのです。
保育所でも優れた環境であれば、保育者によって愛着形成はされるでしょう。
しかし現状は0歳児では3人に1人の保育士、1歳児になると6人に1人の保育士です。数の上では愛情は3分の1、6分の1です。
もちろん、保育所から帰宅してからの時間に家庭で愛情を育むことが出来ればい良いのでしょう。親子の関係性は時間量ではないという調査結果も出ていたように思います。
しかし、仕事から帰宅して100%子どもと向き合える時間のある親はどれくらいいるでしょうか。子どもらしい生活をさせてあげられている家庭がどれくらいあるでしょうか。 
親が働き、子どもは他人に育てられる、それが本当に正しいと言えるのでしょうか。
「経済的に仕方がない」と言いますが、だからと言って親子を引き離すことが最良だとは思えません。

そんな社会に、こどもの未来は輝いているといえるのか、
こどもの自殺は社会への警笛だと思えてなりません。

子育て支援」というものが、大人目線ではなく、子どもを主体として考えていくべきではないかと常々思っています。

相手の気持ちになって考えても正解にはたどり着けない

「人のこと見下してるように(馬鹿にしてるように)感じる」

って言われて、
具体的にどんな時か確認して、
それは、そんなつもりはない、多分こう思ってた。
って説明するんだけど、

「そのつもりは無くても私には見下してるようにみえる(だからあんたの言動が悪い)」

みたいに言われるんですけど。

「そう見えるって言われても、そのつもりはないからどうしようもない」って返すんだけど、

結果「もういーよ、どーせ、私が悪いんでしょ!」ってまとめられて(逆ギレされて)
腑に落ちない。
なんで、どっちが悪いとかって結果を求めたいのかなぁって。


って事例は過去に何度も経験しているのだけど。

その度に落ち込んで、
自信を失ってってなった事もあったけど、
私は間違ったことはしていないし、誰かを傷つけようとして行動することなんてないし、
だから、自分を分かってくれる人がいればそれでイイって思ったりもして。

思うに、
人の言動をどう捉えるかは受け取る側に責任があるんじゃないかと。
要は「勝手な思い込み」

コレって、学校でも何でもよく言われる「人の気持ちになって考えよう」ってやつの弊害じゃないかと思うのです。
「私が相手の気持ちになって考えた結果だからこれが正しい」みたいになっちゃって。

本来教えるのなら、
「同じ言葉、同じ行動でも、受け取る人によって捉え方がみんな違う」ってことじゃないのかなって思うわけです。
そう思えるようになった方が、ずっと楽でコミュニケーションを取りやすいんじゃないかと。

「それは、そういうつもりで言ったんじゃなかった」って言ってもらえたら
「そうか、ああ、誤解だったのか。良かった、良かった」った思えた方が、
両者にとって気持ちのいいものになるはずだからです。


最近、久々に、「人を見下してるように見える」って攻められて、凹んでました(笑)

それは、
その人の私に対する劣等感と、その人の立場によるプライドからのものだって、発言を振り返って分析したのだけど、

ぶっちゃけ、
私に劣等感抱いてもらっても、知ったこっちゃない、です(爆)

そう言えば過去に
「あなたの、自信家で自分大好きなところが気に入らない」と言われたこともありましたっけ。

ほんと、
自分のコンプレックスで人を攻撃するのはやめてもらいたい。
私に何の責任があるっていうだか。


…っと、若干話はそれましたが(^_^;)

私は、人の言動はなるべく多角的に見るようにしています。
偏った思い込みは、回り回って結果自分を苦しめるだけだからです。
そして、人の気持ちになって考えても、正解になんてたどり着けないのです。
だって、人の気持ちをわかる事なんてその人にならない限り出来ない事だからです。


日本国憲法は国民を守っている法律、だからこそちゃんと知らなければいけない

今日は「憲法記念日」でした。

 

教員免許取得には「日本国憲法」の単位が必須となっています。
私はすでに修得済みです。
基本的人権についてのレポートだったように記憶しています。最高裁で争った判例がふにゃふにゃとかいう課題で、法律用語に苦戦した記憶があります(笑)


1947年5月3日、日本国憲法が施行された日です。


この憲法GHQにより押し付けられた憲法だ、という人たちもいますが、
私はどちらという意見は持ち合わせていないのだけど、
69年経った今でも変わらないでいた理由を、私は考えたいと思うわけです。
それは単に「変えるのが面倒くさい」って理由とか、それもあり得るでしょう。

しばらく前ですが、時の政権は、時代に合わないと、改正の為の憲法がキツすぎるから今まで変えられなかった、と言っていましたが、本当にそうなんでしょうか。

 

みなさんご存知の通り、日本国憲法は、国民を守っている法律です。
憲法の三大原則の一つ「国民主権」とはそういう意味です。
日本国憲法は法律を作る政治家に、国民を守った上で法律を作るよう政治家を縛っている憲法です。
それに縛られた人々がそれを変えたいと言っているのです。

私は強く支持する政党や宗教があるわけでは無いのですが、
憲法に守られた国民はもっと憲法を知って慎重に判断しないといけないのだと思うのです。

政権が変えようとしているのは、

第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これなわけで。

集団的自衛権とか云々話題にもなりましたが、それについて論じるつもりはありませんが、
ただひとつ言えるのは、「戦争はしてはいけないのだ」ということです。

だれもが「戦争はしたくない」と思っているはずで、過去の人だってそう思っていたはずです。
それでも戦争をしてしまったわけだし、今後も、いつそんな過ちを犯すのか誰もわからないのです。だからこそ、声に出して「戦争はしてはいけない」と念じ続けなければいけないように思うのです。

憲法を変えることが良いことなのかどうか、正直なところ分かりません。
だけど、今の憲法で誰かが不幸になっているのだろうか、と思うのです。
どこぞの国のように、権力者に抑圧されているわけでもないし、人権を尊重された社会生活を送ることがこの国はできるわけです。もちろん憲法はそううたっていても現実それが叶えられない場面も多々あるでしょう。でも叶えられる可能性はあるわけです。


連休中は更新しないつもりでしたが、しないと、ずっとしなくなるような気がしたので、結局書きました(笑)

GWは毎年ちゃんと憲法について考えていきたいと思います。

 

「だから、ゆとりは」は「だから、最近の若者は」が変換されただけ〜円周率は3.14でも3でもどっちも概数

今期はこのドラマ

見てます。

クドカン脚本、イイよねぇ。

って事で。

ゆとり教育」騒ぎは、平成10年(1998年)の学習指導要領が告示された時でした。

「円周率は3」
「台形の面積は求めない」
「計算は電卓で」
と、センセーショナルにマスコミで騒ぎになりました。

私も「円周率は3」になったんだと信じていました。

「ゆとりですがなにか?」の1話。
松坂桃李くんが小学校の先生で、同僚との飲み会のシーン。
ゆとり教育を批判し始め、
「円周率が3でいい?」
「そして学力低下
と先生(役)の人たちが言い合っていたんですが、

しかし、それらは、当時の大手進学塾の広告の煽り文句だっただけで、誤解だったのです。
ゆとり教育」という言葉はマスコミが作った言葉だったということも。
だからクドカンもそれを信じてるってことですかね・・・。

円周率を習うのは5年生です。
平成10年の指導要領には、

円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする。

と書かれています。
これについて、当時の文科省が「円周率が3になるは誤解だ」を公式で回答しています。

新しい学習指導要領のねらいの実現に向けて:文部科学省

Q4 新学習指導要領では「円周率は3になる」と言われていますが、これは本当な のでしょうか。
A 「円周率は3を使うことになる」という指摘は誤りです。
 新学習指導要領の小学校5年生の算数には「円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」とあり、現行と同様に円周率として3. 14を使うことが明確にされています。「目的に応じて3を用いる」というのは、およその面積を見積もる場合などに、子どもたちに必要以上の負担をかけず、考える時間を確保するためのものです。こうした扱いも現行と同様です。このようなおよその見積り は、一般の社会においてもよく行われていることです。

 

そして「現行と同様」とあるように、「目的に応じて3を用いる」という文言は、さらに1世代前の平成元年の指導要領にすでに書かれていました。

ちなみに、台形の面積を教えない、も同じように誤解です。
台形の面積を求める公式を教えるのではなく、三角形の面積の求め方を利用して台形の面積を求められないか考える力を養うことが目的だったのです。
(現行では、三角形の面積をもとにして、ひし形・平行四辺形・台形の求め方を考える展開に多くの教科書がなっています)


そして「ゆとり」という言葉。
これも、平成10年改訂ではなく、昭和52年改訂ですでに

ゆとりある充実した学校生活がおくれるようにすること。

とされていて、
平成10年改訂では、

[ゆとり]の中で[生き る力]をはぐくむことを重視する


と書かれていて、現行でうたわれている「生きる力」はすでにこの時に提言されていました。そしてその重要な要素として

「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体 的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」
「自らを律しつつ,他 人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心など,豊かな人間性」
「たくましく生きるための健康や体力」

と提言されていました。

あの時マスコミが騒いでいたものとは違った理想がそこにあったように思います。

いわゆる「ゆとり教育」が正しかったのかどうかは議論が尽きないのだと思いますが、
偉い人たちが、その時代の課題を常に分析して、子供達の未来を考えて「学習指導要領」は作られているということは、これらを熟読すると良く分かります。

日本の教育システムは世界でも評価が高いそうです。


そんな学習指導要領を、自分たちの利益のために煽り、またそれをマスコミが騒ぎ立てたおかげで、
その世代に育った人たちは「ゆとり世代」と、まるで「ダメ人間」の烙印をおすような社会の風潮になっています。
さらには、その騒ぎのおかげで、現行の学習指導要領はかつての「詰め込み教育」に戻っただけだと言われています。

なぜ、社会はよってたかって「ゆとり」と騒いだのだろうかと考えると、
それは「だから、最近の若い者は」というセリフを、今風に言い換えただけだったのではないかと思うわけです。
「最近の若い者は」というセリフは、古代エジプト文明のころから人間は言い続けているといいます。
時代は常に変化しているという証拠なのです。
その変化を受け入れらないひとが、「最近の若者は」と嫉妬するんです。
その折、ちょうどいい批判の言葉が舞い降りてきたから、みんなして「ゆとり」「ゆとり」って言うようになったんだと思います。

このゆとり世代にがっつりはまっている世代の子と話した時、
「ゆとり、ゆとり、って言われるけど、何が悪いのかわからない」と言っていました。
本当にその通りです。

 

まあ、円周率が3.14だろうが3だろうが、そもそもどっちも概数だし、
中学になればπを使うんだし、
どっちだっていいんじゃね?笑
が私の感想でした。

 

ちなみに、ゆとり教育学力低下を招いたのは嘘だった、という論が出てもいます。
私も、どちらかといえばそちらに同意する思いでいます。
教育というのは10年20年時を経なければその成果というのは現れないもので、
目先だけの数値にとらわれているようでは、なかなか前には進めないような気がします。


しかし、今日のタイトル長すぎたかな(笑)

英語で赤点をとった経歴の私が、次期学習指導要領に立ち向かう決意

前置き

この国の学校教育は、文科省が告示する「学習指導要領」というものを基準に行われています。

小学校学習指導要領 第4版―平成20年3月告示

小学校学習指導要領 第4版―平成20年3月告示

 

 これ、現行の小学校のは緑なので、私は「みどりのヤツ」と呼びます(笑)
ちなみに普通に書店で購入できますし、文科省サイトで全文を閲覧・ダウンロードすることもできます。

これが、だいたい10年ごとに内容の改訂が行われているのですが、
前回が平成20年3月告示の平成23年度全面実施でした。(小学校の場合)

そして、次の改訂が10年を待たずに今年度中に行われることになり、小学校の場合は平成32年度(2020年度)に全面実施される予定となっています。

話は戻り。
平成23年度の改訂時に、小学校で新たに加わった活動があります。
それは小学校5〜6年生で行う「外国語活動」です。
要するに「英語」なのですが、中学や高校での英語とは違い、
「外国語を使ったコミュニケーションに慣れ親しむ」という目的のもので、
「聞く」「話す」が基本で、単語や文法を覚えると言った内容ではありません。

この活動により、中学英語での「聞く力」「話す力」が向上している一方で、
小学校の時に「読み」「書く」をもっとしたかった、と外国語活動を経験して中1になった子供の8割近くが回答しており、(平成26年度「小学校外国語活動実施状況調査」の結果について:文部科学省


これらは、小学校から中学校への接続が円滑に行われていない結果だとして、
次期の改訂では、
現在の5〜6年生の外国語活動を3〜4年生に移行し、5〜6年生には「読む」「書く」を含めて教科として導入される予定となっています。

ここで課題となってくるのは、指導する側の問題。
現行の外国語活動では、担任と、ネイティブスピーカーである外国語指導助手(ALT)などとにより行われていますが、ALTの参加は半年に1回という学校があったり、指導をALTに任せてしまう学校があったりするそうです。

そもそも、小学校の免許取得に必要な科目に英語の指導法は現在では含まれていませんから、専門的な指導ができる教員は少ないのではと思われます。
(ちなみに、中高の英語教員で、英検準1級以上・TOEIC730点以上の割合が、全国平均で、中学で28%、高校で53%なんだそう)

平成26年度「小学校外国語活動実施状況調査」の結果について:文部科学省

 

本題

そして、振り返ってみたいと思います。

wakaba0204.hatenablog.com

 

はい。

 

英語が嫌いで赤点もとったことがある私が通りますよっと(笑)

 

はて〜、困りました(笑)
って笑ってる場合じゃありません。

外国語活動だけならなんとかなりそうでしたが、教科化となるとそうはいきません。

先日、大学のガイダンスで言われました。
学習指導要領の改訂が今年度に行われるという話から、
「これから小学校(免許取得)を目指すみなさんは、最低でも英検準2級、ALTとは日常会話が普通に出来る程度の力をつけないといけません」とな。

はて〜、困りました(笑)

だから、笑ってる場合ではありませんってば!

 

英検なんて受かったことなどない!

 

あははははははははは・・・・・。

 

いや、いや、いや、いや、いや、いや、

言い訳をさせていただくと、

私は、英語が不得意なのではなく、嫌いなのです。

そう、やればできる子なのです。

ってことで、

NHKラジオ講座、基礎英語を始めてみることにしました。

ちなみに、コースが、1、2、3とあります。

これは中学生レベルのものなので、大人がやり直すには、0からのスタートではないので、中学生の総まとめである3からで大丈夫だ、という文言を目にし、
ためしに、1回分の放送を聞いてみました。

 

う、う、うん。。。。微妙。。。。

 

いやいやいやいやいやいやいやいやいや。

ヒアリングはそこそこ問題ないんですよ。しかし、日本語から英語の変換がやっぱり厳しいです。

 

まあ、あとまだ2年あるので、基礎英語1からはじめようと思います。

ちなみに、基礎英語3までマスターすると、英検準2級レベルに到達するようです(ヤッター!)

ついでに、この基礎英語でTOEIC900点超え(英検準1級レベル)した人もいるみたい。(ビジネスで対応できるのがTOEIC600点くらいと言われています)

 

TOEIC900点とまではいきませんが、最低でも600点いけるくらいの語学力は身につけたいものです。

 

乞うご期待!(テキストは明日買う)

本音を言うと嫌われるが、覚悟があれば思いは伝わる

昨日のエントリー 

wakaba0204.hatenablog.com

 

過去最高のアクセスが来ていて、ビビっています(笑)

しかも、Facebookのシェアが130とか(4/23 22時)、
いやあ、Twitterとか他のブログとかならリンク元が確認できるのだけど、Facebookは誰にどうんな風にシェアされてるか分からないんですよ。。(わかる方法あるのかな?)

 

まーーーた、上地教がなんか言ってるwwww 

 

とかシェアされてたら、どうしよう。とか今更ビビってます(笑)

いや、本当はたいして思ってないけど(爆)

まぁ、意図してファンの子の中に投下したので、きっとみんなが拡散してくれてるのだと思います。 


で、そんな展開を眺めながら思ったのですが、

本音をぶつける時ってのは、それによって跳ね返ってくることも受け止める覚悟があって成り立つんだろうなって、我ながら思います。

ゆうちゃん(上地雄輔)じゃないけど、

私は、言いたいことを言って後悔したことはないし、
「自分は間違ったことを言ってない」と思うから、
だから、「何を言われても構わない」って、いつも思っています。

 

ただ、そういう態度が気に入らないのか、嫌われることは多いです(笑)

どストレート過ぎるんでしょうね。正論すぎて嫌われるタイプです(笑)

それでも、自分を変えようと思ったことはありません。それが私だから。

 

で、Facebookのシェアは確認できないのだけど、
いくつかのリファラは確認できて、その一つに

「自分の言えなかった気持ちを代弁してくれて嬉しかった」

というような内容のコメントがあって、

多分、ファンの間でも、私のブログを読んで不快に思った人もいただろうし、

そんな批判なんかスルーしてろって思った人もいたと思います。

だけど、たとえ少数でも嬉しい気持ちにさせる事が出来たのなら、私は嬉しいし、自分のやったことに間違いはなかったんだなって思えています。


その昔、自分の思いがちゃんと伝わらない事に悩んだ事がありました。

それでトラブって、でもその後にちゃんと思いが伝わってわかってもらえた時、

自分の思いを伝えるには、もっともっとその思いを表現しないとダメだよ。

と言われました。

もともと本音しか言えない人でしたが、

本当はいろいろ思ってても、その答えだけをストレートに表現してしまいう、という本音だってので、

それがトラブルになるんだって事が分かって、

それからは、いちいち思いをいろんなとこで表現してきました。

たぶん、それで行き着いたのがココです。


そんな訳で、

これからも本音ベースで続けたいと思います。

「こんなやつが先生になっていいのか」って思われそうな事も書いてますが、

でも、いいんです、そういう先生がいたっていいじゃないか!って思ってるで(笑)



不謹慎と叩かれている上地雄輔を、全力で擁護するエントリー

はい。

私、上地雄輔の大ファンでございます。
一部では「上地信者」と揶揄されますが、
はい( ´ ▽ ` )ノ、信者ですが、何か?(笑)
 
キャラクターのせいでしょうか、一部の方たちにはめっぽう嫌われてますね、上地雄輔というオトコは。
おバカなくせに、と必ず言われますねぇ。
 
アーティスト活動を始めれば、パクリだの、下手くそだと、音楽を冒涜してるだの、まぁ言いたい放題言われている時期もありましたが、
 
私はそれについて反論する気もございません。
いや、私は勿論そんな事は思ってないし、一個一個、本当はこういうの意味でやってるとか説明出来るけど、
嫌いな人にそれをあえてする必要はないんじゃないかと。
 
なぜなら、私にも大嫌いな有名人とか、生理的に受け付けない人とかいますから、
好き好きで結構でしょう。
 
なのでいちいち目くじら立てません。
スルーです。
 
多分、雄輔本人も、スルーしてるよ。
いつも言ってるから、
「俺なんて何言われてもいい」って。
 
 
で、す、が。
 
まず、こちら。

ameblo.jp

被災地へのエールが縦読みで書かれています。

それに対して、

www.asagei.com

 

被災者のことを何も考えてないだろ!」と、強烈なバッシングをくらっている 

 
「エールじゃなくて謝罪してほしいぐらい」
 
ちょっとまってちょっとまってお兄さん。
どうして、あなたがたに、被災者のことを何も考えてないとか、謝罪しろとか言われなきゃいかんのか。
そして極め付けは、記事中に出てくる「女性誌記者」。
 
「今回ばかりは批判に同調します。いったい誰に読ませたかったかわからない。人間としての底が知れてる気がしましたね。言葉は悪いですが、私が被災者なら普通のヨコ読みで『バカはすっ込んでろ』と送りたいぐらい」(前出・女性誌記者)
 
まあね、表現者にたいして、どんな感想を持つかなんて自由ですよ。
しかし、こんな批判を、匿名でするなんて、
記者として恥ずかしくないんでしょうかね。隠す必要ある?ってか、隠す必要があるような内容だから隠すんだよね?
ならば、
私からも言わせてもうおう。
 
匿名でしか批判できないバカな記者はすっ込んでろ!
 
 
そもそもだ。
 
このブログを書いた3日後の18日、そう、それは上地雄輔の誕生日。
その日に彼はプライベートで鹿児島に降り立ち、物資を購入し熊本入りしている
(という目撃情報があった)
(本人が公言していないので話せないと思っていたが、バッシングがひどすぎるのでたまりかねた井上公造が関西の情報番組で詳細を説明していた)
 
かっこつけるだけでこのブログを書くようなチャラ男だったなら、
新婚の嫁さんとシャンパンで乾杯でもしてるんだろうよ。
 
だが。
この男は違うのですよ。
ブログの縦読みの真意についても、彼をよく知るクルーなら周知のこと。
しかもこの2週間ほど前に彼は熊本でライブをやったばかりだった。

ameblo.jp

ブログには立派な熊本城の写真も。

 

他のタレントが謝罪や発言の削除を行っているようですが、
彼はおそらくしないでしょう、いや、して欲しくない、おそらくはクルーのすべてがそう思っている。
 
まあ、まあ、こんな言い訳は所詮ファンの戯言だと、言われるだろうから、
事実をもって以下に擁護する。
 
 
彼は、東日本大震災でも大バッシングを受けた。
そんな5年前を振り返る。
 
2011年3月11日、その日は、遊助上地雄輔のアーティスト名)のツアー初日武道館ライブの日だった。
そのリハーサル中にあの大地震が起きる。(その模様はライブDVDの特典映像に収録されている)
あれっ・・ぐうぜんですケド。 [DVD]

あれっ・・ぐうぜんですケド。 [DVD]

 

 そしてその日から4本の公演が中止となる。

しかも、3.11は遊助のデビュー記念日なのだ。2周年をお祝いするライブになる予定だった。

ライブのタイトルのまま、まさに、偶然。

 

それから、彼は、彼ができることを探し、考え、行動し、そんな日々があの頃のブログには綴られている。

 

そのツアーは、4月3日分から再開することとなったのだが、仙台公演は中止。

 

そして、その仙台公演の振り替えとして、6月2日にゼップ仙台でチャリティーライブが行われたのだが、それと並行して石巻入りし、瓦礫撤去のボランティアをスタッフとともに行う。

 

この仙台公演では、その春のツアーで回った各会場にて横断幕にメッセージを観客が書いて繋いでいくということをやっており、その完成品が仙台で披露される。

その時の感情を、DVDのコメントでこう語っている。

 

被災地に(自分の思いが)届け届けとずっと思っていた

全国のクルーの気持ちを(被災地に)持って行きたかった 

 

みんなが楽しければいい
みんなが幸せだって思える時間をすこしでも作れればいいし、
ああ、しあわせっていう笑顔をみたい

そういうきっかけを作れる人間でありたい

 

話はこれだけで完結しない。まあ、ここまでは同じようなことをしたいた人たちがたくさんいただろう。

 

上地雄輔のイメージカラーは黄色なのだが、

彼は、スウェーデンの「イェリヴァーレのサンタクロース」に「黄色いサンタ」として公認されているのだ。

 

震災が起こる前年の冬に公認され、その翌年の震災、その年の年末のクリスマス、「黄色いサンタ」はたくさんのプレゼントをもって仮設住宅を訪問する(プライベートで)

 

その「黄色いサンタ」の仮設住宅訪問は5年経った今でも毎年行われている。

 

上地雄輔に「被災地に謝罪するレベル」とのたまった匿名記者よ、

お前さんは、これくらいのことをしたのかと言いたい。

これでも「被災地のことを考えてない」と言えるのかと。

 

雄輔がいつもいうのは

「俺は何を言われても別にいい」

「だけど目の前の人が笑顔じゃないと嫌だから」

 

そんな必死に生きている人のことを、

よくもまあ、ケチョンケチョンに言えるもんだな。事実も知らんと。

私はとにかく腹が立っている、名前も社名も出さない「女性誌記者」に。

記者なら記者らしく、事実を自分の足で調べてからモノを言え!

 

そう言ってる間に、上地雄輔がブログを更新した。

他愛もない自分の誕生日祝いの記事を(笑)

そうだよ、彼は、ネット界隈で叩かれてることなんて、ちっとも気にしてないのだよ。

だから、私は、この男が大好きなのだ。